絵仏師良秀


・ 宇治拾遺物語巻第三の六「絵仏師良秀家の焼くるを見て悦ぶ事」です。

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        [ 原文・現代語訳 ]

これも今は昔、絵仏師良秀といふありけり。
これも今では昔のことだが、絵仏師良秀という者がいた。

家の隣より火出できて、風おしおほひてせめければ、
家の隣から出火して、風がおおいかぶさるように吹いて火が迫ってきたので、

逃げ出でて、大路へ出でにけり。
逃げ出して、大通りに出てしまった。

人の書かする仏もおはしけり。
人が描かせている仏もいらっしゃった。

また、衣着ぬ妻子なども、さながら内にありけり。
また、着物を着ていない妻や子なども、そのまま家の中にいた。

それも知らず、ただ逃げ出でたるをことにして、向かひのつらに立てり。
それも気にせず、ただ逃げ出したのをよいことにして、向こう側に立っていた。

見れば、すでにわが家に移りて、煙、炎くゆりけるまで、
見ると、すでに自分の家に燃え移って、煙や炎がくすぶり燃え出した時まで、

おほかた向かひのつらに立ちて眺めければ、
ほとんど向かい側に立って眺めていたので、

「あさましきこと。」とて、人ども来とぶらひけれど、騒がず。
「たいへんなことですね。」と言って、人々が来て見舞ったけれども、動じない。

「いかに。」と人言ひければ、向かひに立ちて、
「どうしたのですか。」と人が言ったところ、向かい側に立って、

家の焼くるを見て、うちうなづきて、ときどき笑ひけり。
家が焼けるのを見て、うなずいて、ときどき笑っていた。

「あはれ、しつるせうとくかな。
「ああ、たいへんなもうけものをしたことよ。

年ごろはわろく書きけるものかな。」と言ふ時に、
長年の間下手に描いてきたものだなあ。」と言う時に、

とぶらひに来たる者ども、「こはいかに、かくては立ちたまへるぞ。
見舞いに来た人たちが、「これはどうして、このようにお立ちになっているのか。

あさましきことかな。物のつきたまへるか。」と言ひければ、
あきれたことよ。霊が取りついていらっしゃるのか。」と言ったところ、

「なんでふ物のつくべきぞ。
「どうして霊の取りつくはずがあろうか。

年ごろ不動尊の火炎を悪しく書きけるなり。
長年の間不動尊の火炎を下手に描いてきたのだ。

今見れば、かうこそ燃えけれと、心得つるなり。
今見たところ、このように燃えるのだなあと、納得したのだ。

これこそせうとくよ。
これこそもうけものだよ。

この道を立てて世にあらむには、
このことを職業にして生きていくのなら、

仏だによく書きたてまつらば、百千の家も出で来なむ。
仏さえ上手に描き申し上げたならば、百軒や千軒の家もきっと建つだろう。

わたうたちこそ、させる能もおはせねば、
おまえさんたちこそ、それほどの才能もおありでないので、

物をも惜しみたまへ。」と言ひて、あざ笑ひてこそ立てりけれ。
物も惜しみなさるのだ。」と言って、あざ笑って立っていた。

そののちにや、良秀がよぢり不動とて、今に人々めで合へり。
その後であろうか、良秀のよじり不動といって、今でも人々が賞賛し合っている。






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